作者より:ここに集めたテクストは、戦争が始まってウクライナを離れた人たちから私が聞いた話を、恣意的に書き起こしたものである。ひとつはドイツの新聞のために私が行ったインタビュー、もうひとつは通訳として非難した人たちの支援をしていたときに聞いた話、そして三つ目は私の家族の話である。

ゼネンフント 子供の頃、私は、ベルナー・ゼネンフントを飼うのが夢だったが、両親は反対で、「うちじゃあ、こんな犬を飼うなんて無理よ、ベルンでしか飼えないの、だからそういう名前なんだよ」と言われていた。だから、私はウクライナに住んでいるけど、ベルナー・セネンフントは遠いスイスに住んでいた。 それでも私の望みは少しも弱まることがなく、もっと執着するようになっていき、両親はどうすることもできなくて、最終的には数年後に子犬を買ってくれた。私はその仔を大切に育て始めた、そして少しずつ、無防備な子犬から、私たちのことをあらゆる危険から護ってくれようとする存在に、番犬に変わっていった、最初の頃の爆撃からも、兵士からも護ってくれた。でも今はもう、彼もそんなことはできない。私たちは犬を置いて逃げなければならなかったから。いま私はスイスに住んでいるけど、私のベルナー・ゼネンフントは遠いウクライナに住んでいる。

ナタルカ 軍事活動となっている地帯から私たちと一緒にここへ来た女性がナタルカだ、とても素朴な人で、自給自足で手に入れる物以外は何もない村から来てきた。ここは概ね彼女にとっていいところだった、彼女はすぐに書類をすべて手に入れ、町の中心部にあるアパートに落ちつき、そのことを少し誇らしく思っていたくらいだ。でも、4月になるやいなや、ジャガイモを植える季節が来たといって、荷物をまとめて村に戻っていった。

日曜日の朝に戦争が始まる。キエフに爆弾が落ちると、みんな植物園に向かって走る、誰かが木の下に隠れなきゃと言ったから。ポーリャは、子供たちが爆弾から見えないようにするかのように、彼らの上に身を屈めた。頭上ではサーチライトが空を切り裂き、爆撃機の明かりが明滅している。その後、ポーリャと子どもたちは船でドニプロペトロフスクへ渡り、そこの貨物駅で石炭を運ぶオープン貨車に乗り込む。空気中に黒い粉塵が舞い、壁や床からも舞い上がり、何もかもが煤だらけ。みんなの全身、皮膚のしわも、毛穴もすべて。この煤は、彼らからも、彼らの子供時代からも、彼らの子供の子供たちからも、決して洗い流せはしないような気がする、そうして、木曜の朝になるとまた戦争が始まる、キーウに爆弾が落ちるとき、ポーリャのひ孫が列車に乗り込む。

高柳聡子訳

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